農場で農業を学ぼう

国際協力から転身 「まず農家に」

 吹き抜ける風が肌寒さを増した2020年11月下旬、水戸市にある日本農業実践学園の講義用あずまやで、多品目の野菜農家を目指す吉田誠也さん(30)が、パソコンに野菜の生育データを打ち込んでいた。背後には自身で種から育てた10品目の畑が広がる。

 東京大学大学院で植物のバイオテクノロジーや分子生物学を修め、昨春から海外で農業の国際協力に携わるつもりだった。「半年前まではここにいるとは想像できなかった。でも、本当はこれが本来の順序。急がば回れで、新型コロナウイルス禍で僕は農家への道に踏み出す決断ができた」

 入校者数が右肩下がりを続けていた実践学園は、研修生がゼロとなった19年度と打って変わり、20年度は18人が入校した。

 40ヘクタールに及ぶ学園の田畑や畜舎は久しぶりに研修生でにぎわう。

 新型コロナ禍を受け、農業系以外の分野から入校した研修生が大半を占める中、昨秋入校した吉田さんは農業に関わってきた「異色の存在」だ。
研究よりも現場
 農業が盛んな千葉県市原市で育った。友達の家は農家が多く、遊び場も森や川だった。幼い頃から生き物が大好きで、高校卒業後は、植物の病気の原因となるウイルスや菌を研究して農業の課題解決を目指す法政大学生命科学部へ進んだ。

 現場での学びが好きだった。学生時代はアジア、中東、南米、アフリカの30カ国以上をバックパック一つで歩き回り、熱帯地域に飢餓や貧困が集中する実態を知った。大学院へ進んだのは、種の発芽率を向上させる遺伝子の解明などを通じ、世界で深刻化する食料問題の解決に貢献したいと考えたからだ。

 大学院で研究中、現場への思いが再び頭をもたげた。博士課程に進まず国内外に植物工場を展開する農業生産法人に就職。3年半勤めた後、国際農業者交流協会(JAEC)の研修生としてオーストラリアに1年間派遣され、熱帯地域の野菜生産に携わった。20年3月にいったん帰国し、交流協会の推薦を得て国際協力機構(JICA)の農業専門家として応募。途上国の課題を解決する念願の国際協力へ踏み出そうとしていた。

 だが、世界的な新型コロナ禍で募集は停止された。吉田さんは腹をくくった。「僕はグローバル化の波で踊っていた。地に足を着けよう」と。

 見据えたのは、農業分野で社会貢献できる企業を立ち上げること。そのために農家となり、ベテランの域に達すること。外国人の研修生を人手不足を補完する労働力としてではなく、人材としてきちんと受け入れるモデルもつくりたい。「その先に国際貢献があるべきだし、農業技術の指導も本来はベテラン農家がやった方がいい」
いつかは世界へ
 農家になると告げた吉田さんに、両親は「大学院まで出たのに」と仰天した。農学と農業は似て非なるもので「生活できるのか」と心配もされた。

 「農業というと、学のある人の仕事ではないという誤ったイメージが日本社会にある。農家は、土壌を学び、栽培技術を知り、マーケティング力も必要なゼネラリスト(多方面の実力を持つ人)。難しい職業だが、やり遂げたい」。両親に伝えた言葉だ。

 オーストラリアに派遣されていた時、農と食の関係を学ぶ場として、農場が学校に開放されていた。「どの農家の事務所にも子どもの絵や感想文が飾ってあって、社会から普通に尊敬されているのが新鮮だった。僕もそうなれるよう努力し、いつの日か、農家の技術で世界に貢献したい」(栗田慎一)