農場で農業を学ぼう

引きこもり生活一変 新たな居場所 たくましく歩む

温床作りの作業中、すきを肩に担ぎポーズを取る雙田さん(水戸市で)

 「自信はまだないけれど、怖いほど迷いがない。きっと僕は農業が好きなんだと思う」。新型コロナウイルス禍の2020年度に日本農業実践学園に入校した18人の中で最年少、28歳の雙田貴晃さんが、ナスを促成栽培する温床を作ろうと土壌を掘り返しながら、白い歯を見せた。

 挫折からしばらく引きこもりの生活が続いた。外の世界に連れ出してくれたのが農業だった。

諦めた司法試験
 「理系一家」の末っ子だ。

父は半導体研究者、長兄は国産初のジェット機設計者、次兄はデイトレーダー。これに対し、雙田さんは文系の道を歩んだ。弁護士になるため大学の法学部に進学。司法書士の資格を取り、卒業後は司法書士事務所で働き司法試験を目指した。

 しかし、アレルギー体質から体調を崩し、耳が聞こえにくくなった。休職してしばらく療養したが、退職を余儀なくされた。倉庫の管理業務など職を転々としたが、長くは続かなかった。

 自信を失いかけた時、農業体験NPOの活動に参加した。神奈川県相模原市で育てたタマネギを収穫し、東京都三鷹市で売った。それまでモノ作りをしたことがなく、農業は生産だけではないと知り、「農家になりたい」と思った。学ぶ場として神奈川県立農業大学校を考えたが、早く実践的に学びたくて10月に研修生を募集していた実践学園を選んだ。

 ところが、メロン農家の親戚は「厳しくて息子も農業をやらないのに何であえてやるんだ」といぶかしんだ。母はショックで寝込んでしまった。
社会復帰 誰でも
 実践学園の学園長、籾井旭太さん(40)は「社会生活や都会生活の中でうまく立ち位置が見つからなかった人が入校するケースは珍しくない」と言う。それは障害者に農業分野で活躍してもらい社会参画を促す「農福連携」よりも広義で、どんな人にも居場所を提供する、農業の本質的な魅力だと籾井さんは考える。

 「農業は決まった道がなく、正解もない。ある人の成功体験が他の人にも通用するとは限らない。その代わりどんな人でも受け入れるし、どんな人にも仕事をつくる。どんなに失敗しても、春になれば同じスタートラインに立てる」。籾井さんはそう語った後、「でもね、1人じゃできないんですよ」と人好きのする笑顔になった。

 実践学園は金融恐慌が突発した1927年、「満州開拓の父」と称された故・加藤完治を初代校長に迎え、デンマークの全寮制学校をモデルに農業教育の私立校として開かれた日本国民高等学校が前身だ。94年の歴史は日本農業の盛衰を映す。

 戦後の農地解放後、急増した「農家の後継ぎ」の研修校となったが、高度成長期を境に学生数は減少。平成になって後継者難が深刻化すると、社会人の就農教育に軸足を移し、現校名に変えた。政府の「事業仕分け」で農業専門学校への補助金が打ち切られて10年。厳しい経営が続くが、籾井さんは「農業は国の基。農業を通して人物を育てたい」と胸を張る。

 学園に来て2カ月。雙田さんは、周囲から「人が変わった」と言われるほどたくましくなった。

 ナスが野菜の中で一番好きだから、ナス農家を目指す。「経営が軌道に乗ったら、さまざまな理由で引きこもっている人や社会になじめなかった人、僕のような人でも参加できる農場にしたい」

 今日も朝5時半、寮生活の雙田さんら18人が起床する。夜明け前の広場でラジオ体操をし、農場へ向かう。開校以来在籍した8000人と同じ「農業への希望」を胸に抱いて。(栗田慎一)