0度近くまで冷え込んだ晩秋、丘陵地のビニールハウスの中は春のような暖かさで、イチゴの白い花の周りには蜜蜂の羽音が響いていた。「蜂が近くに来ても払わないで。攻撃されるかもしれないから」。水戸市の郊外、新規就農者の専門学校「日本農業実践学園」の研修施設。2カ月前に入校し、1年後にイチゴ農家として独立を目指す小林克彰さん(39)が、実習作業の手伝いに来た妻の瞳さん(37)に語り掛けた。
克彰さんは、芸能人のホームページやコンサート情報を制作していた自営のウェブデザイナーだった。会社員だった30歳の頃、副業として会社が認めていた個人受注が増え、独立を決意した。2年前に工業デザイナーの瞳さんと結婚し、埼玉県三郷市に居を構えた。克彰さんが自宅で仕事、瞳さんが会社勤め、2人の生活は順風だった。
新型コロナウイルスの影響は克彰さんを直撃した。イベントが軒並み中止となる中、仕事はなくなっていった。稼がなくてはと就職セミナーに参加したが、組織内で働く気持ちになれなかった。頭をもたげたのが「老後にやってみたい」と思っていた農業。でも、踏ん切りがつかなかった。
「農業って、いいんじゃない」。ためらう克彰さんの背中をそっと押したのが瞳さんだった。
コロナで経済活動が停滞した2020年は、08年のリーマンショック後と同様、職を失った人々が「景況に左右されにくい」農業への転職を考えた。社会人を対象にした農業専門学校には、前年を上回る問い合わせや入校希望者が相次いだ。
実践学園も、減り続ける一方だった入校生が19年はゼロとなり、存続の危機にひんした20年、春と秋に20~60代の男女18人が入校した。前職も、金融界中心だったリーマン時と異なり、不動産業者、IT技術者、司法書士、舞台俳優など「あらゆる分野から農業へ移ってきた」と学園長の籾山旭太さん(40)が驚く。
関東と関西に研修拠点を持つアグリイノベーション大学校も同様で、昨秋の入学者が150%増を記録した。兵庫県丹波市立農(みのり)の学校は年末時点で春の募集定員の半数が埋まる「予想を超えた人気ぶり」だ。岡山県真庭市の中国四国酪農大学校は、オープンキャンパスの参加者が10年ぶりに定員を大幅に上回り、コロナ禍の求人減に不安を抱いた大学4年生の姿も目立った。
一方、八ケ岳中央農業実践大学校(長野県原村)や高知県立農業担い手育成センター(同県四万十町)のように「変化のない」学校もあった。
副業持ちつつ夢育む
農業への転職は「ハードルが高い」といわれる。農地探しから住宅の確保、栽培品目の選択、栽培技術の習得、生産計画の立案、設備投資、販路確保まで、独立就農はスタートラインに立つだけでも大変だ。土地に根差した仕事だけに、地域の理解や支えも欠かせない。小林さんのためらいもこうした理由だった。
全てをなげうつ覚悟が求められがちだが、克彰さんは「ウェブデザイナーの仕事は細々とでも続けたい」と籾山さんに打ち明けた。再考を求められると思いきや、籾山さんは「そんなモデルがあっていい」とうなずいた。「国の補助や支援がなければやれないとか、いちかばちかやってみるとかでなく、スムーズに農業に移行できるさまざまなモデルを生み出したい」。39歳で学園長に抜てきされた籾山さんの信念だ。
一方で籾山さんは、単身での茨城在住を考えていた克彰さんに「夫婦で住んでほしい」と言い、空いていた職員寮を紹介した。「単身赴任では地域からいつまでもよそ者扱いされる」と知っていたからだ。
瞳さんは会社を辞める決断をし、克彰さんは瞳さんが大好きなイチゴを栽培することにした。そんな克彰さんに、地域のイチゴ農家の60代男性が「個人指導」を引き受けてくれた。男性も50代で会社員から農業に転じた苦労人だ。2人は「いつかイチゴの観光農園を開けたらいいね」と語る。
周囲の理解と支えがあって夢はかなう──そう信じることができた2人は、コロナの前より「幸せな毎日」を送っている。(栗田慎一)